仕事の打ち合わせをしていた時の雑談で「マネジメント職で働く女性のロールモデルのような方ですね」というお言葉をいただいた。面映ゆく有難く承るべき場面のはずだが、正直、ただ面食らった。きょとんとした顔をしていただろう。2つの側面からその視点が全くなかったことに迂闊ながら今さら気が付いた。 1)仕事をする上で後進の誰かのために道をつくろうとか、誰かを目標にがんばろうとか、そういった崇高な意識とは全く無縁だった。日々のタスクと問題解決を模索した連続上に今があるだけだ。立場や背景や属性が組織内のマイノリティであることは仕事に独自性を持つ上でむしろアドバンテージになり、うまく使えれば商売になる、それだけ。なのでロールモデルになど、なり得ない。なったら申し訳ない。 2)子供の頃から時々自分の性別が腑に落ちないときがあった。ならば男性かと問われると、そうでもない。時々選択的に女性になるが常時はまあどちらでもというくらいの曖昧な感覚でいる。化粧やスカートをやめてみた時期もあったが、この数年はあえてフェミニンな服を着ては女装の違和感を楽しんでいる。働く女性ではなく働くホモサピエンスなのだ。 それで全く軋轢を持たずにきたとは言わないが、比較的寛容な周囲と自らの鈍感さと、やはり環境に恵まれているのだろうと思う。私のようにお気楽ではなく、はるかに深刻な問題として同調圧力や何かの差異で悩んでいる人は身近にもいるのかもしれない。見た目でも中身でも、単に多数者と異なることが何か引け目になるのは変だ。ダイバーシティという視点にあらてめて着目してみようかと思った出来事だった。【I.S】
2021年6月7日
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